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  • 週刊NY生活連載アーカイブス2016.2月~2016.5月

週刊NY生活コラム連載60回記念アーカイブス3
第13回 2016/2/20   
認知症鉄道事故(その2)
この事故の判決話題を前後して、また認知症者の虐待殺人がここ数日間のニュースで話題となっています。ただ、この2つの事象の違いは虐待殺人「被害者が認知症者」であり、鉄道事故は「加害者が認知症者」であるという差です。
 日本では今一番話題になっている普遍的な話題ですが「被害者が認知症」ですが、こういうサービスする側もされる側も、ましてや、サービスする者にとっても介護で働くきっかけは誰しもが「高齢者の方のため」であったにもかかわらず、気がつけば、加害者になっていたという悲劇。私もいろんな方から話を伺うと、「自分だけは絶対虐待はしない」と固く思っていても、目の前にいる認知症者があまりにも自分の意図することと反対のことをしたり、予想外の反抗をされると思わず手が出そうになったり、口悪く罵ったりすることは自制が効かない場合もあるので、そういう時は、周りの同僚に「もうその辺にしときなさい」と注意制御しても許容される環境を整備しているそうです。認知症者もそれを支援する職員も、「不安・焦り・苛立ち」で毎日を過ごしていると思うのです。そんな非社会的な環境の中でもサービス業であるからこそ、既成のマナー講座や接遇講座のマニュアルにないマニュアルの創出が必要だと思うのです。
 次に、連続でお伝えしている鉄道事故。「加害者としての認知症者」について、日本は国家戦略として2015年1月に「新オレンジプラン~認知症高齢者等に優しい地域作りに向けて~」を出しました。それは認知症者を「弱者」として、権利擁護のための支援であり、認知症者が軽度の違法行為してしまった場合だけに想定され、しかも、それは事件・事故の「予防」までであって、「加害行為」の法的責任の所在については、盲点となってしまうプランなのです。そのプランは、「起きた後の結果や対応は成年後見人に任せておけばよい」という認識なのかもしれません。もちろん、これら事件・事故の責任は認知症の高齢福祉だけの問題だけでなく、障害者福祉も地域ケアやノーマライゼーションという点では方向性を同じくするものですから、精神障害者の「他害行為」について、監督責任を明示してきた民法714条「判断力が不十分である者の行為によって他人に損害を与えた場合の監督する義務を負う者が責任を負うべき」という法律自体の解釈が古くなってきているのではないでしょうか。認知症800万人、精神障害者320万人を排除しない、隔離しない、施設に収容しない新しい解釈とインフラ整備と新しいライフラインの構築が必要だと思います。新オレンジプランの理想と民法の古い解釈の乖離を今回の判決で補完できる要素になることを期待してやみません。
 私たち、普通に日常生活を送っている人にとっては「認知症」とうのは別次元の話のように感じるかもしれませんが、数値だけみると認知症認定患者数462万人(2012年)、軽度認知障害者数400万人以上。合計で800万人以上の方が認知症者に相当すると言われています。私たちの隣にたまたまいないだけで、実は全人口の7%。まもなく10人に1人は認知症という身近な問題なのです。アメリカのノーマライゼーションに比べると、日本のそれはまだ単一民族度の強い国家であるがゆえに越えていかなければならない意識改革の敷居は複数階段あると思いますが、「太平の眠りを覚ますじょうきせん」の名の下に、日本が急激に、「世界の認知症対策最先進国」にならんことをこれからの10年が勝負と信じ、私たち介護に携わる者たちが、3歳から15歳までの「教育」を変えていかなければならないと確信しています。

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第14回  2016/3/4   
注目されていた3月1日の認知症高齢者鉄道事故の最高裁の判決はお見事でした。事故当事者の妻に賠償責任を認めた二審判決を破棄して、鉄道会社の請求を退ける逆転判決。この判決で、認知症を抱える家族が守られたことは、「まだ、その人らしく在宅でも過ごせる」。そんな勇気が得られたことが日本国中の要介護者を持つ家族が安堵したことは本当に良かったと思います。
ただし、私は前々回に「今後の日本の介護事情を大きく揺るがす」「国策的にも大きな影響を与える判例」と煽ってしまいましたが、今回の判決は「さすが最高裁」といえるどっちも勝ち負けなしのロジックであったことも事実であり、「監督義務者」の責任を明示した痛快な判決だったと思います。
【明示1】民法714条では、責任無能力者が他人に損害を与えた場合、「法定の監督義務を負う者」に賠償責任があると定めるが、保護者や成年後見人であるというだけでは監督義務者には当たらないこと。
【明示2】民法752条では、夫婦の「協力」「扶助」の義務を定めているが、これらは夫婦が互いに負う義務であって、第三者に対して、夫婦いずれかに何らかの義務を負わせるものではない。男性の妻や長男は監督義務者に当たらないこと。そして、明らかにされた3つ目では、
【明示3】監督義務を引き受けたとみるべき特段の事情がある場合は、監督義務者に準ずる者として民法714条が類推適用され、賠償責任を問えると理解すべきこと。
 この最後の「引き受け」というレベルがどこまでのことを指摘するのか。それは「同居しているかどうか」「日常的な関わりがどの程度か」「財産の管理にどう関与しているか」「介護の実態」等の監督義務の諸条件を揃えて、その判断を宿題として次回以降の裁判に引き継がれた体のような印象を受けました。なんだか、関われば関わる程に裁きの対象となってしまうのは、ある意味「ずるいなあ。その責任は健常な家族や病院や介護へ引導を渡されたのかなあ」という印象も含みます。病院や介護施設なども、その責任が重くなるばかりではしんどいです。介護のプロだからといっても、やはり「安心して介護ができるよう環境」を国が引っ張っていくインフラ整備を今こそ必要という判決でもあったはずですが、そこだけは明示せず、次回以降にスルーパスされたことも、皮肉を込めて「お見事な判決」だったと思います。
 最後に、あまり報道では触れることのできなかった鉄道事故の犠牲者でもあり、加害者でもあるお父様の息子様から、記者クラブに配布されていた書類から以下抜粋いたします。
「たくさんの報道やご支援に接し、大変勇気づけられましたが、《徘徊した》という表現に少し違和感を持つようになりました。父が過去に自宅からいなくなった2回とも、向かおうとしていたのは生まれ育った実家の方向でした。父は《実家に帰ろう》という目的を持って歩いていたはずです。今回、父は事故に遭遇しましたが、それでも何か目的を持って歩いていたはずです。徘徊という周りを困らせようとか、無目的で歩き回っていたのではないと思っています。成人であれば外出は当たり前の行動です。父はたまたま一人で外出したもののたまたま認知症であることがそのような行動になってしまったのだと思っています。ご迷惑をおかけした皆様、鉄道会社様には、謝ってすむことではないかもしれません。本当にどうしたらいいのか裁判の判決を待つしかございませんが、父の行動を《徘徊行為》だったとは思わないで欲しいのです。何かの目的を持った《一人歩き》から起きた、起こした事故だったと表現していただきたいです。差し出がましいお願いだとは存じておりますが、何卒宜しくお願いいたします。」
 日本を世界で一番「弱い方に優しい社会」で、100人いれば100の介護が可能になる世の中にしたいものです。

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第15回   2016/3/19   
しばらく認知症の事故に関する話題を続けましたので、閑話休題。日本の介護事情の「明るい未来」の話をしたいと思います。
前回の結びで「日本の介護を100人いれば100の介護が可能になる世の中にしたい」という意見にいくつか反応いただきました。
 ご意見の中から、「100種類の介護サービスを作らなければならないのですか?」というご意見がございましたが、そういうわけではありません。そこには、サービスを提供する側の努力が必要ですし、また、それを受け入れる側は100通りの要望だけをいうのは単なる「わがまま」にしか過ぎません。
わがままを押し通そうとすれば、それは並の民度の国に成り下がるだけです。日本人たるや100であろうが1000であろうが、する側もされる側も謙譲の心。相手を平伏させて変えようとせず、自分自身を相手に合わせて変わろうとする「気配り」があるのが日本人らしさなのです。
 日本はその気配りや謙虚さから、他国に比べるとデモ活動や自己主張の少ない文化で育まれてきました。「困った時には国がなんとかしてくれる」「わが町を代表する議員さんに我田引水の期待」「寄らば大樹の陰」「長いものには巻かれろ」等。粛々と働き続け、どうにか老後を迎えて、払い続けた税金と年金で、国のお世話になって、介護を受けて、病院で手厚い治療を受けて、家族に看取られて、幸せに死んでいく。というのがこれまでの理想の生き方でした。しかし、その受け身の謙虚な国民に対して、国の施策は国民に対して、「自らが能動的に動かないと幸せはつかめませんよ。市区町村は自助・互助で生きていける地域包括ケアシステムを構築せよ」「国はもう面倒見きれません。自分の健康は自分で、自分の生活は自分と周りでやりましょう」に変わってきたのです。身近な行政のガバナンスも、個人の考え方もパラダイムをシフトする必要が迫られています。
 これからの日本の10年の変化は過去の30〜50年にも相当すると評する人もいます。特に20代後半〜40代後半のみなさんには、パソコン・携帯をオフにして、丸一日立ち止まって自分の人生の中長期プランを考え直すことも大事だと思います。「人は生きるために何が一番大事なのか?」ということを必死に考えてください。そんな時に古いと思わず、「教育勅語」を読み直してみるのもいいと思います。教育学者の中では賛否両論ありますが、日本人が日本人であること。親子の関係、兄弟の関係の御言葉の部分が「介護のあり方」の理想に「現在」とぴったり一致するのです。
 ダーウィンの進化論でも、こういいます。「強いものが生き残るのではない。変化できるものが生き残るのだ」
 日出ずる国が、日没を迎えようとする世界初の高齢大国日本でもあります。
日没の後には「夜」が待っています。人それぞれの夜の楽しみ方を考えようではありませんか。国に頼らない自分なりの楽しみ方を。夜をどう楽しむかはあなた次第です。

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第16回    2016/4/2   
4月1日は日本にとって会社も学校も新しいスタートです。ニューヨークはまだ寒いですか?思い起こせば、私がアメリカの大学にいた時の9月が日本の4月っぽい雰囲気。「Welcome Back to school」の懸垂幕やチラシがキャンパス中に溢れかえっていたことを思い出します。でも4月ってなんでもできるような気にさせるそんな季節でもありますよね。ということで、日本で4月1日に開始、施行されたものは次のようなものがあります。
・家庭用の塩大幅値上げ
・ガリガリ君値上げ(60円→70円)
・サントリー角瓶値上げ
・クノールカップスープ値上げ
・女性活躍推進法施行
・家庭向け電力の自由化
ここにあげたものはほんの一部です。しかも全部にコメントしたいものですが(特にガリガリ君へのこだわり)ここでは「介護」に関わることだけ抜粋します。
1. 診療報酬改定はこれまでも段階的に、病院入院から自宅、在宅系の住まいへ退院するように促されてきましたが、さらに介護や療養型の施設改革、リハビリテーションへと連携促進により医療保険を使う機会を減らし、国民一人一人の「健康寿命」を長くできる遠因となる診療報酬改定が組まれています。これは2年後の2018年の「医療介護確保促進法」の一部である「医療法」「介護保険法」の改正のホップステップの「ホップ」でしょう。あと2年あるようで、実は今年中にその方針が決まるので「ステップ」は今年。「ジャンプ」はもう施行の時ですので、今年の介護に関するニュースには注目していてください。
2. 病院にかかるのも、外来患者の初診料が上がります。(紹介状ある場合は据え置き)全体で、診察料は約1%上がり、薬代は約7%下がります。
3. 保険の混合診療が一部可能になります。それは全面開始ではないのですが、「公的保険が利く診療と、利かない診療を組み合わせる診療」のことです。この混合診療は「患者申し出療養」ともいいます。4月からは患者が申し出てから、その診療が審査の上認められれば、保険適用(原則3割)になり、自己負担を減らせるようになります。(小声:今さら…とは思います。国はいつも国民1億2700万人の一人一人のことを考えながら、今に合った法的決断を慎重にしてほしいですね。)

2.障害者差別解消法&改正障害者雇用促進法施行については、介護に携わるものからでも待望の法律です。国全体の福祉の考え方を大きく変えてくれるかもしれないと期待大です。例えば、認知症患者やがん患者も広義の「障害者」ともいえるかもしれません。人は健康なうちは自分がそうなると、全く意識していなくても、ある日突然、健康不安になったり、後遺症や慢性化にならないとも限りません。この法律の施行はいつまでも自分らしく生きていきたいと考える全ての人に優しい法律だと思います。
しかし、日本は障害者権利条約の批准140番目でした。では、日本は後進国?いや、この条約の英語は、いまだに障害者を無能者(disability)と書かれています。日本では、かつて痴呆症と呼ばれていましたが、今は認知症と言います。認知症は国際的には、dementiaと呼びます。念のためニューヨークにある本屋さんの立ち読みで辞書を調べてみると、insanity(狂った)と出てくるんですね。アメリカ(世界?)だって、まだ遅れてるんじゃない?そう思ったりします。これは、高齢社会最先進国である以上、日本がこの分野で世界を引っ張っていくチャンスだと思ってもみます。いや、ならなければならないと思います。まずは、その前に、日本語で「障」「害」って言葉なんとかならんのですかね。 

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第17回     2016/4/16 
当社へのご相談内容で「他業界からの介護参入」「日本型の介護研修」等が増えています。この連載コラムをご覧になられている方はなんとなくでも日本の介護事情に通じてきているかとは思いますが、介護の基本の「き」はまだお伝えしていなかったかもしれません。2回にわたって少し原点回帰します。

相談例)同居している父親をちょっとだけ施設に預かって欲しい。認知症の診断はまだされていないが、少しそんな感じなので、ゴールデンウィーク期間のうちの3泊4日くらい預かって欲しい。特に持病らしい持病はないのだが、父親を数日間一人だけ家に置いておくのは不安なので。実はこれが初めての介護相談。いくらくらいかかりますか?

解答例)多く誤解されていることは、65歳になったら「介護保険被保険者証」という健康保険証に似ているものが送られてきます。これがあれば、いつでも、誰でも、介護サービスを受けられると勘違いする人が多いことです。
 介護サービスを受けるためには、この被保険者証を持って、少なくとも1か月以上前に、市町村窓口に相談し、認定の申請を行い、介護が必要かどうかの要介護認定を受け、その結果(要介護区分)が出て、この被保険者証に「要介護⚪⚪︎︎」と入力されてから介護サービスが受けられるのです。

ですが、相談例の場合、もうゴールデンウィークといったら、来週のこと。市町村窓口に行くことも、ましてや認定調査を受ける時間もない。諦めるか?ホテルのコンシェルジュにでも相談するか?
実は、今年の3月31日に「経済産業省・厚生労働省・農林水産省」が連名で、「地域包括ケアシステム構築に向けた公的介護保険外サービスの参考事例集(保険外サービス活用ガイドブック)」を策定したのです。今までは「介護保険外サービス」というと、国の目の届かないところで、法律のないことをいいことに好き勝手やるサービスと疑惑のサービスとも言われていたのですが、国が正式に「介護保険外」を認めることになりました。「住民のみなさんがいつまでも自分らしく生活できるための地域包括ケアシステムを補完充実していくためには、今の介護保険サービスでは限界がある。だから、国が1から100まで面倒みるのはしんどいから、住民が「自腹」で市場の介護サービスを買えるため、商品サービス種類を考えてあげよう」となったのです。
一度、「保険外サービス活用ガイドブック(計112ページ)」をネットで見てみてください。意外に面白いサービスが列記されています。
 さて、話が飛びましたが、じゃ、結果。このガイドブックなどから参考に、自腹で施設を利用するしか方法はないのか?でも保険使って1割負担、保険使わなかったら10割負担。それは高過ぎるから、やはり保険使えるまで我慢するか? 
 もう一つの方法があります。要介護認定が出るかどうかはわかりませんが、介護保険「内」でサービスを受けるように、市町村の窓口から紹介されたケアマネジャーか、知り合いのケアマネジャーに相談しましょう。そして、アセスメント評価をしてもらい、担当者会議に参加して、ケアプランを組んで、契約を交わします。それでもこれらの手続きに最低10日は要ります。それと前後して、市町村から認定調査で家まできてもらい、結果は1か月後くらいになります。1か月後、認定結果が「要介護1」で判定されたら、サービスを開始した日までさかのぼって、1割負担でも出来ることもあるのです。それまでは10割負担で、後で領収書を市町村に提出して、払い戻してもらえるかもしれない「償還払い(8割とか9割が返ってくる)」を利用する手法もあります。ただし、あくまでも保険内で行うため、お散歩サービスやペットの面倒や暇潰すためのお話サービスなんてものは含まれていません。あくまでも介護保険「内」ですから。

解答例の結論。2つのいずれか。
1.料金高いことを覚悟で「保険外サービス」を利用する。
2.「保険内」サービスの可能性(償還払い)に賭けて10割負担で利用する。(認定調査で要介護になれば1割負担になる)

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第18回  2016/4/29   
本誌でも既報の通り、熊本地震のNY日系人会様の「九州地震救援基金」のご設立、ライオンズクラブ様、ジャパンソサエティー様をはじめ、米国本土から皆様のあらゆるご支援本当にありがとうございます。熊本で生まれ、熊本で育って、高校時代まで思いっきり親元で青春を謳歌した私にとって今回の地元からの心痛い映像にただ茫然とするばかりです。この執筆が書き終えてすぐに熊本に帰ります。皆様からのご支援から現地で感じえたことをまたご報告できればと思っております。
地震列島と言われる日本ですが、初動体制の脆弱さが今回も露呈したとメディアでもよく言われていますが、今回はまさに、日本が高らかに国策として掲げる「地域包括ケアシステム」の実力を試された機会となったのではないかと思います。
 アメリカでも国民を高揚させたかつての大統領ジョンFケネディの就任演説の言葉「国があなたのために何をしてくれるかではなく、あなたが国のために何ができるかを考えようではありませんか」の精神と同様に日本中の国民の自助互助機能が一斉に発動し、需要と供給の量が一致したところまではよかったのですが、そのパイプとなるべき公的施設にうず高く積まれた支援物資を効率良く必要とされる市民の手に届くことは難しく、共助公助機能不全こそが露呈してしまったのではないでしょうか。以下、NHK NEWS WEBからの一部抜粋。
熊本市 救援物資の配送見直し直接避難所へ(4月24日 13時11分)
熊本市は被災者が求める救援物資を少しでも早く避難所に届けるため、集積拠点から区役所などを経由している現在の配送方法を見直し、避難所に直接届ける方法に近く切り替える方針です。熊本市では、全国から届いた水や食料などの救援物資を東区にある集積拠点の「熊本県民総合運動公園」に集め、いったん区役所などに配送したうえで避難所に届けています。しかし物資が滞留するなどしていることから、熊本市は集積拠点から避難所に直接届ける配送方法に近く切り替える方針を決めました。熊本市は自衛隊や運送会社の協力を得て、数日中にも新たな配送方法を始めたいとしています。


 このように、机の上で書いた理想の流れ通りにいかないことは、しっかり想像力を働かせれば誰もがわかっていたことなのです。「集積拠点に荷物を集め、区役所で要請を受けてから各避難所に荷物を配送する」というのは一見混乱を未然に防止するためには完璧な流通方法です。しかし、「じゃ、誰が荷物を積み上げるの?管理するの?梱包するの?運転するの?」の想像は誰の仕事だったのでしょうか?一大事の時に「想定外だった」なんてプロの仕事師として絶対許される言葉ではないと思うのです。
地域包括ケアシステムや介護予防日常生活支援総合事業の構想についてもそう感じます。理想的には、「高齢者の在宅生活を支えるため、ボランティア、民間企業等の多様な事業主体による重層的な生活支援の担い手の養成・発掘等の 地域資源の開発やそのネットワーク化などを行う」とパイプ役でもある行政主導でリードしながらも、このような緊急事態にリード役である行政が機能不全に陥ることも想像でいるのです。介護施策について、行政はボランティアや民間に期待しつつも、机上での想像での「規制」を作るのであれば、いっそのこと、現場で汗をかいてから、この施策は妥当なのかそうでないのかの判断をしてから、「規制」の可否を決めていただきたいと今回の熊本地震の件で強く感じました。 

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